今回は前回の記事に続いて水無神社例大祭について書いていきます!
前回の記事はこちら>>
まずは2日目の神輿まくりの起源について説明してしていきます。
平安時代の初期、飛騨の国(現在の岐阜県宮村)の飛騨一ノ宮『水無神社(みなしじんじゃ)』へ木曽から杣(きこりや林業)・匠仕事をするために宗助(そうすけ)と幸助(こうすけ)の兄弟が出向いていました。
あるとき、一揆の戦乱で神社が戦火に見舞われようとしていました。信仰心の厚い2人は、神社の御神体を危険から守るため、それを御輿に納めて木曽へと運び出そうとしました。
幾多の山、谷を越え、飛騨と信濃の国境の長峰峠まで来たとき、追ってきた村人が追いついてきてしまいました。
村人との間で御輿は取り合いになったが、2人は互いに名を呼んで励まし合い、なんとか木曽まで御輿を運ぼうとしました。そうして村人ともみ合い、押し合いをしている間に、御輿は肩から外れて地面に落ちてしまいました。
そこで2人は峠の上から御輿を転がしてまで、なんとか追っ手を逃れようとしました。
この時、惣助と幸助が奉じてきた神様が、追手がせまったとき「惣助・幸助」に「神輿を転がしてゆきなさい」と言われたため神輿をまくって逃げたという話も伝わっています。
そうしたもみ合いの末、御輿は無事木曽へとたどり着き、御神体は神社へ奉納され、木曽の人々は2人の兄弟の偉業を称え、歓迎したといいます。
氏子たちは惣助・幸助の苦労と偉業をしのび、この故事にならって祭りを始め、飛騨街道の見える鴨居坂(かもいざか)で、神輿をまくるようになったといわれています。
まさか他の土地で祀られていた神様が火事によってお引越ししてきていたとは・・・
こんな事があるんだと思いましたが、神輿を転がす理由が分かって納得しました。
そんな歴史ある神輿まくりが行われる祭り2日目。御神輿は1日目と同じように町内の残り半分を練り歩きます。
そして日が暮れて涼しくなってきた頃、屋台が立ち並ぶ通りの中心地になる木曽町福島の広小路にて遂に神輿まくりが行われます。
神輿まくりには2種類あり、1枚目の様に横向きにまくる(転がす)横まくりと、2枚目の様に縦向きにまくる縦まくりがあります。
神輿を転がす時には神輿の横に人が乗り、そのまま枠持ちと呼ばれる担ぎ手達が神輿を転がすために持ち上げ、神輿が逆さまになる直前に飛び降ります。
見ている人はその迫力に驚いたり、神輿を転がしている人達が怪我をしないか冷や冷やしたりします。
写真だけでは迫力が伝えきれないと思うので、動画も載せます!
写真よりも少しでも迫力が伝わったら嬉しいです。
あれだけ大きな御神輿が転がされているのはとても凄い光景なのですが、例年に比べると人数が少なく、規模を縮小してやったため以前の様子を知っていると少し寂しい感じがします。
それでも2年振りにお祭りが開催されて、目の前で見れてとても嬉しかったです。
この水無神社例大祭の神輿まくりは、何年か前にとあるテレビ番組で奇祭として紹介されたこともあるようなお祭りなので是非、実際に皆さんの目で見てみてほしいです!
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